ロケーションフリーなインド人留学生
ドバイボケが治りません。そういえば最近Kelloggの進学予定者@インドとごはんに行ったり、飲みに行ったりする機会も多い。Facebookのおかげか入学前から世界中の進学する人がネットワークし、情報交換している。
「どこに住むの?」「ビザはとれた?」などたわいもない留学生会話が大半なのだがやはり「MBAに行った後どうするのか?」という話になる。社費という言葉すらほとんど出てこないが、結構な数「アメリカでの就職」がでてくるし、インドではなくロシアやブラジルなどの「新興国」でもっと仕事をしてみたいというやつもいる。面白いのはあまりロケーションにこだわりがない。これが日本となるとやはり一定数国外での就職や「日本を起点としたグローバル」という人は多くいるもののやはりそこまで多くないのではないかと思う*1
さてこうなってくるとまた例の「フラット化する社会」がでてきて、「日本人の若者は海外にでていかない」というグローバル悲観論にもっていきたいかといえばそうではない。おいら個人としては今後の自分の身の振り方ならびにただのわくわくから2012-05-09 - オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク-Kellogg MBA留学日記で書いたようなレベルに近づきたいと思っているが「みながみなアメリカで就職するくらいの気概をもって若者は生きるべきか?」というとそうでもないと思う。
誤解を恐れずに言えば、インド人留学生がインドという国を出るのはグローバルだからでもなんでもない。MBAの借金を返す手段として米国企業への就職はよい選択肢のひとつであり、また国内にあまたふんだんに選択肢がないというのもある。一方で日本という市場を見てみれば、そもそも社費で金を返す必要もない人も多いし、一方で選択肢も十分にあふれている。生活環境もきわめてcomfortableだし、どれだけ「グローバル化」や「国内市場の収縮」が叫ばれたって日本の大企業は比較的に安定している*2。
グローバル化を否定するわけでもなんでもない。むしろ個人的スタンスは逆だが、多くの一方的な「グローバル悲観論」を目にすると最近どうにもこうにもいたたまれない。「日本にはリーダーシップがない」だとか「グローバル化が必要だ」とか既得権益の上の勝ち組の「大人」がいってもあまり響かないのではないかと思うし、「グローバル」だとか「リーダーシップ」だとかっていう言葉が氾濫している。本当に「グローバル化」したければ、叫んでいる「大人」たちが既得権益を全部なげうって、人材の供給面でも生活面でもすべてを「グローバルの競争」にさらすしかない。が、そんなことは自発的にはおきないだろう。結果としては個人のレベルでどっちに舵をきるかしかないのだなと色んな組織を見てきてつとに思う*3。
一方で多くのインドの子たちと話していて刺激的なのは、初めから国という軸でキャリアからスコープアウトさせず、自分のパッションや仮説に正直なところだ*4。おいら自身も自然とキャリアの選択肢を狭めていたので彼らとのやりとりは「はっ」とするものがあった。にしてもやっぱり国を超えてナイスな人がKelloggは多いなー。進学するのが楽しみ&来月には学校が始まっていると思うと不思議。