オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク-ケロッグ1年留学日記

外資系コンサル、日系金融機関、インドでの国際機関を経て、2012年6月からKellogg school of management1年プログラムに留学している男のつぶやき。アメリカ時々インド。2013年6月には卒業したいと思っている。

語学エリートは「グローバル人材」か?

今日はもう一本。フェイスブックやらTwitterで読んだのだが、東大が語学エリート育成のために「グローバルリーダー育成プログラム」をはじめるらしい。表示できません - Yahoo!ニュース

取り組み自体はすばらしいと思う。が、語学エリートは果たして「グローバル人材」なのだろうか?語学ができるということとグローバルの中でリーダーシップをとれるというのは少々段階が異なると思っている。自分の留学を正当化するわけでもないけれども、やっぱり「グローバル人材」というのは様々な文化、環境で育ってきた人とふれあい、様々な苦労をしたからこそ得られるものだと思うのだ。(グローバル人材が何かという定義の問題はさておき)

時には自分がminorityになる経験も重要なのだと思う。英語でも中国語でも何語でもいい。自分が圧倒的minorityな立場になってつらい思いをして、お互いの立場を理解してそれでも喧嘩をしてその繰り返しでしか、グローバルなリーダーシップなんて育たない。ローカルな言語でやりとりをすることがどれだけその外にいる人にとってストレスか、育ってきた環境が違うことがどれだけコンセンサスまで突っ込むのに大変か。僕らはきっとそれを学ぶべきなんじゃないかなと思う。言語は確かに最低条件だけれども、それ以上にマインドセットが重要なんじゃないか。大事なのはTOEFLの成績でも、ペーパーテストの結果でもなんでもない。

言語ができなくてもリーダーシップを発揮する方法、あなたがmajorityでもそうではない誰かにやさしくできる方法それこそが重要なのではないかなと思う。

とても素敵なプログラムだと思う。でもそうだとすれば留学生比率の問題などを含めて東大をいかにグローバルな環境に近似させるのかを考えなければ、意味のないものになってしまうと思う。「英語」を学ぶという発想は非常に旧来の日本的な発想で、日本人がほぼ大半の世界の中でどうするのか?という世界の話だ。これからグローバルで活躍するという命題に向かうならば、「英語」だけでなく「どう異なる文化、環境の人を理解するのか?」こそ若い大学生に学んで欲しいことなのではないかなと思う。

片手落ちにならないように。そして日本特有の形式にとらわれないようにいいプログラムになるようにと心から願ってコメント。