オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク-ケロッグ1年留学日記

外資系コンサル、日系金融機関、インドでの国際機関を経て、2012年6月からKellogg school of management1年プログラムに留学している男のつぶやき。アメリカ時々インド。2013年6月には卒業したいと思っている。

あめりか的「オープン」

夏休み最後は西海岸に所要がありでかけていました。まあ大半は遊んでいました笑。
その中でいくつかの西海岸の学校の連中と話して、シカゴに帰ってきてKelloggのアジアの連中で話していてみんな同じことをいっていて面白いなと思ったのが、「アメリカ的オープン」に関して。

今まで留学するまではあまり意識したことがなかったが、アメリカ人のオープンというのは非常に面白い感覚で、アメリカ人的オープンさをもっていない人に対してはけしてオープンではないという話。個人的には民主主義の議論とかにも似ている気がするが、学校であれ飲み会の席であれ一般化することが必ずしもいい方法論ではないにせよ、彼らが振りかざしている「オープンさ」というのは万人を受け入れるオープンネスではない。

学校を超えて、国を超えてみんなが大なり小なり同じことを感じているのが非常に面白かった。が、名誉のためにいっておくとだからといって別に差別されているわけではないし、「アメリカに来なければよかった」と思っているわけでもない。むしろその逆でおいら個人はこの「アメリカ的な考え方」を見てみたいと思ったというのもひとつの理由である。当然このアメリカ的な発想は多極化につれ薄まっているし、アメリカのMBAの相対的ポジションがおち、ヨーロッパやアジアのMBAのポジションがあがっていることも事実だと思う。が、一方で大学が発表している国の数、多様性なんていうのは本当によくわからないものだと思う。たとえばアメリカのMBAプログラムは出身国の数を出して「うちの学校は多様性満載ですよー」といっているが実はアングラの数を数えればかなり偏りがあると思う。パスポートの種類とその人の多様性は相関するだろうけれども全然一致しないし、一方で「アメリカ人」であってもほぼ人生の大半をアジアで過ごしているんだよねという人だって少なくはない。

さてKelloggでお前はどう感じているんだといえば、アメリカの学校なので「アメリカ的」な発想も強くあると思う。その一方でKelloggの場合はプログラムの仕組みでうまくそれを混ぜようとしていくのが強く見れると思う。以前に書いたKWESTもそうだし、グループワーク主体の授業設計もそうだけれども上手に「異なるものをうまく組み合わせて価値を最大化しないと評価しないよー」というのがよくいろんなとこに現れているような気がする。それに輪をかけてこの「異なるもの」自体も複数国で長い経験を積んでいるマルチカルチャルな同期が多いような気がするのでまたそれがKelloggらしい多様性を生み出しているのではないかなと個人的には思う。そして本音で言えば国であれ、仕事であれ、文化であれ、多数派でない経験をしておくことは自分の中の受容性を育てるために必要なのではないかと個人的には思っているし、そういう経験を運よくこの年でできてよかったなと思っている。

今日から正式に秋学期です。がんばります。